私が育った時代
物が無かった時代
子供のころは、飴のセロファンの包み紙
デパートの包装紙
塗り絵も、千代紙も箱にいれて大事にしてました。(綺麗な色のものがあまり無かったのです)
残り毛糸、洋服の余り布等、物は大切に・もったいない・・・の時代に育った身としては、
今、物に溢れて、すぐに何でも手に入る時代、
[とりあえず、取っておこう]が仇となって~😓
いつかやるつもりの、パッチワーク用の布地、
縫うつもりで、貯めこんだ洋服生地、
何年も眺めるだけの着物たち、手編みしたセーター類
簡単には捨てられません
でも、断捨離、断捨離の文字が目につくこの頃、物に価値がなくなったから?
高齢者が増えたから?
すっきり生活したいからでしょう?。
両親の家の片付けした時、ほとんどが捨てる物ばかりで大変だったこと思い出し、捨てるなら自分自身でと、やっと自覚する年齢になったらしい😃
同じ歳の樹木希林さんが亡くなられて、死を身近に感じたからだと思います。
まずは、衣類から
夏物を、しっかりチェックして必要な物だけ仕舞うように、出した冬物は来春、衣替えの時しっかりチェックするようにと小さな決心をしました。
どのように暮らしたいのか、必要な物は何なのかが、問われているような氣がします。
徐々に、台所から家中へと[無駄な物なんていらない]シンプルな暮らしを目指していこう✌と思います。
すっきり片付いた家をイメージしながら・・・
ありがとうございます💗
老子
第二章
[たおやかに、自由に生きるために]
042 あえて何もしない
無為とは、何もしないということではない。
大自然のなすがまま、あるがままに従うということさ。
人間の小賢しい知恵を使って、
よけいなことをするなといっているんだ。
だから、何もしないということも、
行動のひとつなんだ。