星たちの座談会 ☆ ★ ☆ ☆ ★ ☆ 地球号の未来 

本来なら来るはずのなかった地球に生まれた私たち☆アウェイ感をヒシヒシ感じつつ悪あがきならぬ良いあがきでジタバタ奮闘の☆座談会メンバー8人共同ブログ☆

生きること

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鶏頭のとうとう枯れてしまひけり

 

正岡子規さんの俳句

1867年10月14日(慶応3年)~1902年9月19日(明治35年)36歳で没

 

東京の子規庵に行った時、庭に鶏頭が咲いていました。

 

庭に向いている机は、カリエスのため?座れず、立てた膝が当たらないように、机がくり抜いてありました。

 

壮絶な病魔との闘いが、垣間見られました。

 

今月の月刊[致知]に

正岡子規の

[余は今まで禅宗のいわゆる悟りということは、いかなる場合にも平氣で死ぬることかと思って居たのは間違いで、悟りということは、いかなる場合にも平氣で生きていることであった。(病状六尺)]

の記事がありました。

画像はこちらのサイトからお借りしています子規庵/東京の観光公式サイトGO TOKYO

 

[平氣で生きていること]

この言葉を初めて知ったのは、10年ほど前NHKTVでした。

 

[平氣で生きておることは、難しい。死ぬときがきたら死んだらええんやし、

平氣で生きておれるときは、平氣で生きておったらいいのや。]

 

曹洞宗大本山永平寺

宮崎奕保貫主のお言葉でした。

(1901年11月25日~2008年1月5日)108歳

 

それは、

[自然は立派やね~

規則正しい、そうゆうのが法だ

法にかなったのが大自然、

法にかなっておるのだから

自然の法則によって人間が暮らす~

 

何も考えない妄想せんことや

いわゆる・前後裁断や・

その時その時、一息一息しかないんだ~

 

心身は一如やから

体をまっすぐにしたら

心もまっすぐになっとる

人間は、わがままが自由やと思っておる

ちゃんと型にはまったものが、平生(日常)でなければならない。]

と言うものでした。

 

正岡子規  35歳の悟り

宮崎奕保  100歳の言葉

 

やっと、私の中で言葉が繋がりました。

 

💚平氣で生きていること

おちついて、心穏やに💚

 

ありがとうございます💗

 

 

老子

第二章

[たおやかに、自由に生きるために]

 

033 ほどほどのところ

 

ほどよいところで満足することを知れば、

恥をかくこともなく、

[もっともっと]の欲を捨てれば、

危ない目に遭うこともないのに・・・。

それなのに人は、

ほどほどのよさを忘れてさらなる欲を燃やし、

いつも不安と危険の中にいる。