2020年1月6日は『小寒』(しょうかん)
二十四節氣の二十三番目、そして 冬の五番目の『小寒』です。
太陽黄経が285°に達した日。 1月6日から大寒の前日1月19日までの14日間にあたります。
暦便覧には「冬至より一陽起るが故に陰気に逆らう故益々冷る也」と記されています。
冬至から「陰陽の比率が」一旦暖かくなった(陽に転じた)ため、寒さが負けじと(陰が)強くなるといった意味になるでしょうか。
小寒は「寒の入り」をあらわし、寒さが大きくはない、すなわちまだ本格的な寒さではないという意味です。
季節は本格的な冬となり、「小寒」と「大寒」と呼ばれる時期になりました。
しかし、「小寒の氷、大寒に解」とも言われ、実際には小寒のほうが、寒さは厳しいと言われています。
寒中見舞い
小寒の日から寒中見舞いが出されます。
この日から節分の前日までを「寒・寒中・寒の内」といい、約30日間ほど厳しい寒さが続きます。
寒の内とは一年で最も寒い時期、暦の上の「寒の内」が実際には気温が最も低くなる季節です。
寒中見舞いは、小寒から節分までの間に出します。
節分を過ぎた後に出す場合は寒中見舞いではなく余寒見舞いとなります。
Snow Monkey 地獄谷野猿公苑
長野県を代表するスノーリゾート、志賀高原。
その一角に温泉に入る野生のニホンザルを見ることができる「地獄谷野猿公苑」があります。
山道を30分ほど歩かなければたどり着けない秘湯なのですが、それにもかかわらず外国人に大人氣で「スノーモンキー」とよばれて親しまれています。
きっかけは昭和27年(1952年)志賀高原のスキー場開発が発端でした。急激に進んだ開発によって生息地を追われた野生のサルが、麓の町に現れて農作物を荒らすようになりました。
そこで「エサが足りればの農作物への被害はなくなるのではないだろうか」という発想から長野電鉄と地獄谷温泉の宿「後楽館」が協力してサルの餌付けを開始し、辛抱強い作業の結果、5年後にようやく警戒心の強い野生のサルの餌付けに成功しました。
そうして「後楽館」周辺にサルの群れが現われるようになったのです。
ある時、好奇心の旺盛な子猿が寒さをしのぐために「後楽館」の露天風呂の湯につかりました。そうこうするうちに他のサルたちも温泉に入るようになり、その氣持ち良さそうな様子が『朝日新聞』に掲載されると、大きく注目されるようになりました。
そこで観光地化を進めようという意見が持ち上がり、昭和39年(1964年)にサル専用の露天風呂を完備した『地獄谷野猿公苑』として開苑するはこびとなりました。
昭和45年(1970年)には、米国雑誌『LIFE』の表紙に「地獄谷野猿公苑」の露天風呂につかるサルが「Snow Monkey」として掲載され、世界的に有名なサルになりました。
近年では観光客の半分以上が外国人の日もあるそうで、海外から多くの観光客が訪れています。
「地獄谷野猿公苑」は人類もサルも両方ともwin-win のいい関係の成功例ではないでしょうか。
昨今町中にイノシシが出没するというニュースをよく目にするようになりましたが、山に食べ物がなくて仕方なく里に下りてきていると思われます。
そのようなことにしてしまったおおもとは人類がしてきた乱開発のせいではないでしょうか。
人類だけがwinではなくて、他の生命体もwinになるような、そんな考え方に変えて枠組みの変換をしていかないと、未来にとんでもないしっぺ返しを食らうことになるかもしれません。