小田原散歩の三回目は、
松永安左ェ門
(1875年・明治8年~1971年・昭和46年・95歳)の 記念館と老欅荘(ろうきょそう)へ
箱根登山鉄道で板橋駅へ、箱根駅伝でお馴染みの国道1号を渡ってテクテクと住宅街を抜けた所にありました。
蓮池をめぐって、趣のある石段を上がったところに、
私が両手を拡げても、幹周りの半分しか届かないほどの、老欅荘のシンボルに相応しい、大きな欅の木が1本ありました。
又、少し階段を上がったところが老欅荘(松永邸)
72歳に転居したという建物は、釘を使わない木造り、お茶室がいくつかある、すっきりと氣持ちよい空間でした。
平日の午前中、見学者は私達二人きり、
お庭を観ながら、ゆったり、くつろいでおしゃべり。
気がついたら2時間経過。
記念館では、遺書と晩年の松永翁の写真に魅了されてしまいました。
遺書
[一つ、死後の計らいの事、何度も申しおく通り、死後一切の葬儀、法要はうずくの出るほど嫌いに是あり、墓碑一切、法要一切が不要。線香も嫌い。
死んでも勲章位階、これはヘドが出るほど嫌いに候。
財産は倅および遺族に一切くれてはいかぬ。彼らが堕落するだけです。
小田原邸宅、家、美術品、必要什器は一切、記念館に寄附する。
これは何度も言った。
つまらぬ物は僕と懇意の者や小田原従業員らに分かち与うべし。
借金はないはずだ。
戒名も要らぬ。
この大締は、池田勇人氏にお願いする。以上]
死の10年前に書かれたとゆうなんとも痛快な遺書です。
大きな顔写真は、
力強く鋭い目力、
深く深く澄んだ瞳
とても魅力的でした。
お腹がすいて、偶然入った駅前の蕎麦屋さんは、
懐かしい[はつ花そば]
湯本に行ったら、必ず寄った、そば屋さんで、暖簾分けしたお店でした。
ミニ天ざるを食べて、大満足。
松永翁も、毎年の園遊会には、はつ花蕎麦を必ず召し上がったそうて、写真が飾ってありました。
帰りは、国道1号を歩いて小田原駅へ。
途中、昔からある柳屋ベーカリーで、名物のあんパン買って、城内、お堀端通って帰路。
松永安左ェ門さんのこと知りたくて、図書館で
[松永安左ェ門伝
電力こそ国の命]
大下英治著
[晩節の光景
松永安左ェ門の生涯] 小島直記著
借りてきました。
凄い人でした。次回に。
ありがとうございます
老子
第三章
[しなやかで力強く生きるために]
087
自分以外はみんな先生
良い人は悪い人の見本。悪い人は良い人の反面教師。
学ぶ心さえあれば、
自分以外はみんな先生なんだよ。