今朝のラジオで、ゴルバチョフさんの
[私は、収穫の時に立ち会えないかもしれないが、出来るだけ種を蒔いておこう]の言葉と、
[木を植える人]の本が紹介されました。
即、図書館で借りてきました。
フランス
ジャン・ジオノ著(1985~1954)
原みち子訳
短編で、質朴な農夫が、人も住めない荒地にどんぐりをていねいに選別し、一人で手と魂で植え続けていく。
木を植え始めて3年
10万個の実から2万本の芽が出、
1万本の樫が育っている
5年後には、森が出来る。
ぶなを植え、窪地には、樺を植える。
時と共に、大きな森が作られ、創造は連鎖反応を起こして
枯渇していた小川に水が現れ、楊柳が生え、
空気がかわり、風が種を運び、草原が広がり
花畑も見かける様なる。
宇宙の調和がとれた自然林と呼ばれる様な森が出来る。
たった一人の人が、自分の肉体と精神力だけで、荒れ地を蘇えさせる
[人間に与えられている力は大したものだ]
しかし、その力は、穏やかで規則正しい仕事
つねに魂を高貴に保ち、ひたすら無私に与え続ける寛い心を持ちつづけて、初めて完全に発揮される。
と、ゆう内容でした。
ワクワクしながら、実話だとばかり思って読んだのですが、ジオノさんが、生涯心に抱いて伝え続けたテーマをもとに書いた小説とのこと。
あとがきで、訳者原みち子さんが言ってます。
本当に世を変えるのは、静かな持続する意志に支えられた
力まず 目立たず おのれを頼まず 速効を求めず 粘り強く 無私な行為ですと
生涯学習で学んでいること
🍀森を育てる🍀
地球上の植物さんは、昔に比べて、四分の一になってしまった今、
自分に出来ることを、何かしていかなくちゃと、しみじみ思います💚
ありがとうございます
老子
第一章
[道とともに生きる]
009
なぜ用途を限定するのだろう
ところがいったん
新しい材木を細かく切ってしまうと、
名前を持ったさまざまな器物が生まれる。
名前をつければ用途はおのずから決まり、
その働きをするのみとなる。
なぜ用途を限定するのだろう。
無理に名前のついた器物などにしてしまうことはないのに・・・